気が付かれなかった取り替え子

ここは、とある人物の出来事が手記として現れる、隙間の世界です

将来をある程度考えて行動するのは大事だと思う

 父親と二人で暮らしていた時の事だ。

 

 父親は「家族より友達の方がいい。友達なら嫌な事があっても離れられるから。家族は離れられないから嫌だ」

 と言っていたが、ならば家庭など持たなければいいだけの話である。

 

 少なくとも父親は結婚する前から家族の中で生活をしていた。

 結婚する25~26歳くらいまでずっと。

 最初は両親と兄弟で暮らし、確か途中から兄夫婦と両親に混ざって一緒に暮らしていたのだ。

 だから家族の大変さは分かっていると思うのだが。

 

 何にせよ、後悔先に立たずである。

 将来に関わる大切な選択は後悔の無いように選んで行きたいもんだ。

 

 ちなみに、私もあんな家族はいらない。くらいには思ってる。

 あと、自分自身の病気云々以前に人間が嫌い過ぎて、そりゃぁもう取り合えず生活圏に居て欲しくない害虫程度にしか思えなくなる時もあるので、家庭は一生作る予定がない。

 あと、他人と極力関わりたくないから、できれば介護されなくてはいけない事態になる前に、ぽっくり逝きたいとかは思ってる。

 しかし、ピンピンぽっくりは割と憧れの対象になりやすいようなのだが、実行するのが運任せで難しい物でもある。

 ……私はちゃんとこの道を選択できるかなぁ?

パソコンで常に夜間モードにしてる件

 最初は夜間、ごくまれに使っていただけなんだが……。

 目が疲れて辛いってなった時、これ使えるんじゃ?

 と勝手に思って、結構前から常に使い始めて今に至る。

 

 しかし、効果のほどは実はよく分からない。

 ただ今は結構パソコンを使っているのだが、前より疲れにくくなったような気もする。

 それに通常モードだと目がチカチカするし、多分私はこれからも夜間モードを標準にしてると思う。

 

 ちなみに眼精疲労には、アーモンド、ブルーベリー、ナス、ニンジンとかが良いらしい。

 

 それと、私はデジタルお絵描きをして別ブログに上げているが、それを見た人は私が感じた色とは違う配色に見えているかも。

デュエット歌った

 当たり就労移行支援に通っている時、レクリエーションか何かでカラオケに行ったのだが、その時『せっかくだからデュエット歌いてぇ!」と歌ってきた。

 私は1970~1980年代くらいのデュエットしか知らないのだが、ちょうど年配の職員さんがいたので、お願いして『居酒屋』歌った!

 相手の職員さんは歌が上手で、私も気持ちよく歌えてよかったなぁ……。

農業における深刻な問題

 私は農業が割と好きである。

 就労移行支援事業所に通っている時や、A型事業所などの体験実習中に1日~数日、農作業を体験をさせてもらった。

 しかし私には体力がない。

 なので私は軽めの作業を主にやって、肉体動労は、農家さんや私と一緒に体験をしていた男性の方がしてくれた。

 そして夏場の暑い日の作業も数時間だけ体験させてもらえたが、農家さんが気を使って途中で休ませてくれたりした。

 だから、そう思えるのだろう。

 しかしそんな軽めの作業を経て農業に興味がある私を、悩ませる深刻な問題があった。

 そう、それは……。

 

 トイレだ。

 畑にはトイレがない。

 もちろん仮設トイレが設置されている場合だってある。

 しかし私は汚いのとか苦手なので、多分使えない。(というか、ビビッて使おうとすらしない)

 ついでに私は、和式トイレは既に使えない体になっている。

 なので、農業体験をさせてもらった時は、コンビニでお昼を買うついでにトイレを使わせてもらっていた。

 でもそれでは、緊急時に車に乗って近くのコンビニトイレにまで向かうとなった場合には危険である。

 トイレは必ずしも空いているとは限らないし、移動までに車で10分掛かる場合はもう手遅れになっている可能性もある。

 

 というトイレ問題が発生したのだが、そもそも私は車も車の免許もない。

 今までの農業体験時は、施設のスタッフの方に車で畑まで送ってもらい、一緒に作業をやっていたのだ。

 即ち、トイレの問題に加えて、移動手段の問題もあるという事である。

 

 そして私は思うのだ。

 清潔なトイレが付いたAI自動運転機能付き(搭乗者は免許なしでOK。つまりタチコマレベルのAI)キャンピングカーさえあれば勝てるのに。

 と……。

 もしくは住宅地から畑までの送迎と、畑に等間隔でロッジみたいな物が完備されていればよいのだ。

 それさえあれば多分勝てる。

 

 しかしそれでも尚、体力がない問題も残っている。

 もちろん作業をやっていく内に徐々に慣れていくとは思うが。

 

 ただ、ここまで考えると私はこう思ってしまう。

「もうこれ、ロボットにやらせればよくない?」

 と。

 そして、「いつか、無機質ロボット君と農業できたらいいな~」とか企んでしまうのだ。

些細な積み重ね

 どんな些細な事でも、積み重なれば大きな結果が出る事がある。

 それはけして良い結果だけではない。

「このくらい大丈夫」が重なって、大きくなって、後に解決すら不可能な結果が出る事だてあるかもしれない。

 

 例えば子供が転んで怪我をした時、親が慰めずに転ぶのが悪いと責めたらどうだろう?

 子供の力量的に無理な手段で物事をさせているのに、親がそれくらいもできないのかと責めたらどうだろう?

 自分のコンプレックスを親がネタにして何度もいじってきたら?

 他の兄弟はする事が許されている行為なのに、自分に対しては理由なくやっては駄目だと親に圧力を掛けられ続けたら?

 親が子供に口汚い言葉で、ヤンキーの喧嘩かよっていうテンションで何度も怒鳴り散らしていたら?

 子供の言う事ややる事に対して親が、否定してマウンティングを取るのが当たり前だったら?

 どうなるだろうね。

 

 しかし、それら些細な事の積み重ねの結果何らかの障害が出たとしても、そうなる可能性を認識し行動する事は難しいのかもしれない。