気が付かれなかった取り替え子

ここは、とある人物の出来事が手記として現れる、隙間の世界です

幼稚園の頃に親に当てた手紙

 幼稚園の頃、確か母親に手紙を書こうみたいなのがあり、何か書いた覚えがある。

 しかしそんな事などすっかり忘れたある日、手紙を見る機会ができ読んでみると、「黄色いスイカが食べたい」という事が書かれていた。

 

 私は昔から食べ物が好きなようだ。

 だが、ああいう手紙は母親に日頃の感謝を伝える物なのではないか?

 そういえば、書いた時期は母の日近くだったような気もするのだが……。

 まぁ、幼稚園児の時の事だし、無理か。

終活

 私の終活歴は長い方だと思う。何せ十代後半の頃からやっていたのだから。

 とは言っても初期の頃やっていた終活は、はいつ死んでもかまわない様、死んだ後の遺品整理が楽な様、とことん物を捨てまくっていくタイプのものだった。

 

 私が死んだ後、親が私の写真を見て悲しむのか。と思うと気持ち悪かったから、私の写っている写真は全て切って捨てた。

 親が残しておいた、私が幼稚園の頃に書いた親への手紙も、母親にプレゼントした手作りのブローチも、全部捨てた。

 それに加えて「掃除が楽になるように」という理由で物を減らしていたのもあって、私の部屋はほぼ空っぽになった時もあった。

 

 もちろん両親は、写真や思い出の品が捨てられた事に気が付かなかっただろう。私の異常なまでの『物を減らす』という行動が出ていた時期、両親が何かした気配を感じなかったし。

 それに両親の性格もそうだが、思い出の品というのは普段目に付かない場所にあるものなので、なくなっていても気が付きにくい。

 更にその頃私達は広めのアパートに暮らしていたので、私は自分の部屋を持てていた。

 その部屋の中に思い出の品とやらを持って来ては、ゴミ袋(ちなみに透明から半透明の袋じゃないと出せなくなった後の話だ)の中に外から見てあまり目立たない様に詰めていたので、私の行動に異変を感じるとか、私の部屋から出るごみ袋を注意して見るとかしない限りは、少なくともすぐには気が付けないと思っている。

 それ所か、あの人達は娘が写真を捨てていた事を、数年、もしくは今現在も気が付いていない可能性すらある。

 

 お母さんは自ら命を絶ったその瞬間ですら、何一つ気が付いていなかったのかもしれない。

 

 まぁ、さすがに写真がなくなったのは、今はもう気が付いているだろうとは思うし、当時すぐに気が付いていても、何をしたらいいか分からなかった可能性もある。が、一切気が付いていない可能性があるというのも虚しいな。

失恋

 私が社会復帰に向けてやたらと頑張っている頃、六歳ほど年上の人と知り合った。

 彼はやたらと優しくて、私の行きたい場所には結構な遠出でも連れて行ってくれたし、買い物の為に車を出してくれたりもした。

 そして費用はいつも彼持ち。

 このままでは申し訳ないので、小銭は事前に用意していつでも出せるようにしていたし、食品を渡した時もあったな。

  そして私は、そんな彼を好きになったし信頼し始めたから、一人で暮らす家にも入れていた。

 

 しかし、彼は優しい『だけ』だった。

 いや、実際は分からないんだ。何せ私は答えを知らないのだから。

 取り合えず確実に分かっている事は、成り行きとはいえメールで告白をした事と、彼は返事を一切しなかった事だけだ。

 

 又聞き情報によれば、彼が私に優しかったのは私の就職を応援したかったから。だそうだ。

 しかし、就職の事やその他私の暮らしの事でプレッシャーやストレスを与える事を言う。事前に会えるか予定を聞いたのに会えるという返事は当日、事前に一言返事をするよりもゲームのオフ会大事。約束を忘れた理由はゲームをしていたから。そして、数日前まで普通に接していたのに突然の無視。という彼の行動は、私の就職を妨げてしまった。

 

 中途半端な優しさは、相手を一層苦しめる。

 ゲームが好きなら無理に私に付き合わず、数回誘いを断った後無視すればよかった事だし、相手にも時間や事情はあるものだし、突然連絡が取れなくなったら心配をするものなんだよ?

 しかもそれ、無視する前に一言説明があるだけでよかった事だよね?

 というか、せめて告白の返事は欲しかった。

「貴女の事は異性として見てなかった」「友達とすら思ってなかった」でもいいから、けじめを付けさせてほしかった。

 それに他人に愚痴るにも相手の返事がないと、説明しづらくて愚痴も満足に言えないんだよ?

 

 しかしそう思う一方で一番腹立たしいのは、相手が人格障害発達障害の気がある人だと知っていて、更に相手の言動で恋愛感情がない事を理解できていたのに、その事実から目をそらして『普通の幸せ』を追い求めた自分自身だ。

 本来ならば結果が見えていたのだから、終活の道具として使用した後でさっさと『念願の告白』イベント発動させて縁を切るべきだったんだ。

 それにその方が人間をやめている私にはお誂え向きだろうよ。

ファーストキス

 私のファーストキスは、相手が人間ならば父親が相手だった。

 理由は至って健全的なものだ。

 父親と姉が、母の色付きリップクリームを塗っていて、「これは口紅じゃないよ」なんて言う父親を見ていたら、何となく「キスしてあげようか?」と言ってしまったのが切っ掛けだ。

 もちろんちゃんと唇にキスした。六歳とかそのくらいの頃の出来事だ。

 

 ただ、それから人間にキスする機会は今日に至るまで一切なかった。

 

 

 私の好きなゲーム実況者が、ゲーム実況の中で「リアルな恋愛なんか求めてねーんだから、誰も」などと言っていたが、まったくもってその通りだと思う。

 現実なんて夢も希望もないものだ。しかし、だ……なんだろうか? この虚しさとか世知辛さとかは。

 少しは夢を見てもいいじゃないか。

 

 私はぬいぐるみにキスしている事はある。

 とはいっても、顔を押し付けている感じなのでキスっぽくはないが。

 だが、私は人間と、好きな男とキスがしたいんだ。

 ぬいぐるみではなく、父親でもなく、ちゃんと好きな人と、キスがしたかったー!!!!!!!!!!あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 と、時々なる。

 しかし、私が好きな相手(人間)とキスをする事は、この先も叶う事がないだろう。

 多分、長々と生きて八十歳くらいになった時が来ても、「私、殿方とキスした事ないわ~」とか言っちゃっているんだろうな……。

 と思っているし、その未来はほぼ確実にやって来る。

 しかし、万が一にも『好きな相手とのキス』という究極のミッションが達成された暁には、意気揚々とここに書いて自慢しているんだろうよ。

 

 しかしだ、その前に『愛の告白』イベントを達成しなくてはな……。

 達成、できそうな状況はあったけど、結局達成できなかったんだよな。

 なんだこの虚しさは……。

 

 とかなっているので、少なくともしばらくは私に色恋沙汰はないんだろうな。

守護霊

 BBSのオカルト板を見ていたら、自分一人でできる守護霊の確認方法という物が書かれていた。

 しかし、こういう場所に書かれている事はうっかり行うと、催眠術的な要素で危ない事などもあるだろうと思い、まずは自分でできる守護霊の確認方法をネット検索で確認してみた。

 するとその中に『考え事をしている時に、ふとした拍子に知らない人の顔が浮かんでくる』という物が出てきたのだ。

 

 これは私にも似た様な経験がある。過去に二~三回ほどだが、歯を磨いている時とか、何かしようと動いている時などにあったのだ。

 しかし見えるのは人ではない。排泄物の様な汚らしさやグロテスクな気持ち悪さをした『ナニカ』だ。

 その『ナニカ』は蛍光色とか、派手な色をしている事が多いと思う。

 

 口で説明するなら、グロい、汚らしい、色が鮮やか。程度にしか説明できないのだが、最近になり、その『ナニカ』のイメージに近い物を発見した。

 それは久々にアニメでも。と見ていた、無料配信中の『ノラガミ』の中に出てきたアヤカシだ。

 あのアヤカシという物から可愛らしさを取り除いた感じの物を、私は見ていた。

 

 もしあのイメージが私の守護霊に関する物ならば、恐らく私の守護霊は人間ではないのだろう。

 しかし、あれは私が日々感じる疲れやストレスが原因で、あるいはまったく別の要素が原因で、ふとした拍子にああいった形で表れている可能性もある。

 

 取り合えず、BBSに書いてあった幽体離脱法の様な守護霊の見方を試してみようか?

 今はそんな風に思っている。

ブランド

 私はかれこれ十年以上、自助グループで手芸品作成をしてきた。

 だが、そろそろやめようと思う。

 理由は、色々な事が重なり、とにかくやる事を少しでも減らして負担をなくしたい。とか、スタッフとの信頼関係の問題等、事情があるからなのだが、昔から抱えていた問題があったのもある。

 

 

 私の参加している自助グループは、固定の場所で商品を販売している。

 そこで過去に、販売先から貰った使いづらいパーツを消費する為、色々調べたり知恵を振り絞って作った物が販売先で駄目だし、作った商品の駄目出しからのリメイク依頼。という事があったのだ。

 更に、同じ商品が数個欲しいと言うお客さんがいると販売先に言われ、遠出して似た様なパーツを買い、作って販売先に置くも件の客は現れずという事もあった。

 それはひたすら疲れた。

 もちろん私が断れば済む話でもあるが。

 

 そして私はこうした事などが切っ掛けで、こう思うようになっていった。

 ひたすら売れる事だけ考えて商品を作り、売れ残ったらバラしてリメイク、更に買った素材を無駄にしない様、残った素材を無駄にしない様考えての商品作り。という作業は、楽しくない。

 私はただ、私が作りたい物を自分が好きなように作るのが楽しいのだ。

 と……。

 

 更にこんな感情も持ち始めた。

 お客さんは私の作った物を本当にいいと思って買っているのか?

 私の作っている物は、デザインや完成度等のクオリティー面で問題がある物だってあると思っている。

 これを買っていくお客さんは、もしかしたら作った人が障害者だから買っているのかもしれない。

 私の作った商品は、全部『障害者』というブランドが付いているから、売れるのかもしれない……と。

 

 もちろん実際は分からない。私が不出来だと思った物が、他人から見れば上出来に感じるのかもしれない。しかし確かめる方法はない。

 だけど、『障害者』というブランドで売れた場面には遭遇した事がある。

 

 まあいい。私が自助グループに参加して商品作りをしない限りは、こんな考えに悩まされる必要も無くなるのだから。

 

 ちなみに過去に何度かやめようと思い、参加していない時期があったので、今回も数年後に復帰している可能性はある。

 私の意思の硬さなんてこんなものだ。