気が付かれなかった取り替え子

ここは、とある人物の出来事が手記として現れる隙間の世界です

 子供の頃、空飛ぶ椅子に乗って月に行く夢を何度か見た。

 大体いつも月には『猿の惑星』みたいな猿が沢山いて、私は椅子から落ちないようにとか猿に捕まらないようにとかしていたと思う。

 

 所で、月に空洞があるとか宇宙船があるとか、人間によく似た生物のミイラがあったとか、そういうロマン溢れる話を聞くとワクワクする。

 

 アルテミス計画とかも結果はどうなるか分からないが、結果を待ってる間はワクワクする。

姉の歯の矯正

 姉は顎が細く、そのせいで歯並びが悪いという状態だった。

 歯の噛み合わせも悪く、少なくとも姉が中学生くらいの時には歯の矯正の話が出ていたと思うし、歯並びが悪い事が原因の症状も出ていた。

 

 しかし母親は姉に歯の矯正を受けさせなかった。

 時代的な背景があったのかもしれないが、もしかしたら「よく分からないから」「怖いから」と問題を無かった事にしたのかもしれない。

 

 取り合えず、姉は長年肩こりなどに苦しまされ大人になってからの矯正で苦労をしていたという事実だけは残った。

父と娘の裸の付き合い

 小学4年生くらいの時、私と一緒に風呂に入りたがる父親の誘いを拒否ったらいじけられ、「成長した」とか何とか言われた。

 正直そういう態度は子供の前で見せないでほしいとなった。

 というか、それなりに体が大きくなった娘に背中流してほしいとか気持ち悪いわ。

 

 ただこの当時の私は負い目があったのか、結局父親の背中を流すために裸になって風呂に付き合っていたが。

 

 ちなみに私は成人した後、父親と一緒にお風呂に入っても何とも思わない様になっていた。

 まぁそれはガキ臭い父親の言動が原因とかではなく、そういう事を普通にしている家庭もあると聞いて、その頃には特にそうする事に抵抗がなかったからだが。

 それに脱衣所もない小さな家暮らしで正直父親のち💩こも見慣れてたし、他の事情も色々と合わさったのかなんかそういう事がどうでもいいと感じてた。

 

 なので二十歳も過ぎた頃、父親とお風呂に入る機会があれば裸の付き合いをしていた。

 

 ただなぁ。

 今私が親で更に子供がいて特に介護の必要もなく性別も違うっていう状況で、上記した様に体も大きくなったのに一緒に風呂入ろうとなったら

「ここはいくら親子でも、距離感を大事にしよう」

 と拒絶するけどね。

 

 というか介護の為でも服は着て入浴させるわい。

 そもそも体が大きくなってなお、異性の親と一緒に入ろうと言い出さないような教育を私はするかな?

両親の結婚

 お見合い結婚で、出会って3カ月で入籍した。

 だったはず。

 というか、お見合い結婚というよりお付き合いの期間的に強制結婚け?

 

 まぁ実際どうだったのかは分からないが、取り合えずお見合い相手を見つけてきたのは母の父(つまり私の祖父)だ。

 ちなみに私は詳しく聞いていないが、祖父は毒親とかキチガイの類だったらしい。

 

 で、子供を育てる力があるのかどうか怪しい母は多分、自分の能力とか考慮しないで『周囲がやっているから』『それが普通だから』で結婚して子供を産んだ。

 もしくは父親に逆らえずに結婚して子供を産んだ。

 って感じだったのかな?

 

 でも旦那となった私の父はそんな母をサポートできるかと言ったら、そうでもない。

 むしろ母のストレスを増幅していたのではないか?

 という人だったっていうね。

 更に母はそれに加えて両親からのサポートも特になかったと思う。

(私が1歳くらいの時に父親と祖父が色々あって縁切ってたので)

 

 そして母は50代で自殺して人生を終了させていた。

 

 

 取り合えず私は結婚せねばならない状態に追い込まれなくて、本当によかった。

 となった。

 なんか遺伝とか呪いとかオカルトとかそんな感じだけど、やっぱ他人を見る目とか寄ってくる人とか生活力とか、そういうのって親から子に受け継がれる気がするし。

 

 ちなみに曾祖母か高祖母も50代くらいで亡くなってる様だった。

急に態度を変えられてもキモかったって話

 私の母親は私が学校に通いたくないという欲求を飲んでくれなかった。

 だから無理やり通わさせられたし、朝は父親にくすぐられて無理やり起こされて苦痛だった。

 

 所が母親は誰かに何かを吹き込まれたようで急に態度をコロっと変えて「通わなくていいよ」と言ってきた。

 どうして学校に行きたくないのか話し合いをするわけでもなく、今までさんざん他の子と比べて「あの子は皆勤賞狙って学校通ってるのに」とまで言ってきていた母親が突然である。

 

 その時の私がどんな気持ちだったか、実は正確には覚えていない。

 ただ母親の突然の手の平返しがキモかった印象が残っている。

 そもそも理解してくれたとは思っていなかったかな?

 

 だって、私以外の他人に何か吹き込まれたから急に態度を変えたんでしょ?

 っていうのが手に取るように伝わっていたから。

 

 だから

 あの人は私の言っている事を理解なんかしてないし、私が「学校に行きたくない」って言った原因を考慮して「行かなくていいよ」と言ったわけでもないでしょ?

 とかなってたと思う。

 

 そもそも私の母親ラジコンだし。

 自分で考えて動く事ができないから誰かに操縦してもらわないと動かないの。

 

 でもその誰かって、少なくともこの時は私じゃないよね?

 

 まぁ、30歳近く年の離れた娘の私に愚痴を吐いたり助言を求めたりする幼い母親ではありましたが。

 

 

 あと一応書いておくけど

 学校に通わない=正しい。とかその逆の、学校に通う=正しい。

 という白黒ハッキリした事は思っていないよ。

 

 ただ『従来の方法での通学や勉強が苦行だった』という事実は、あの頃の私にあったっていう。

心療内科受診の切っ掛け

 私自信が『このままじゃいけない』と感じたから、両親に「病院に連れて行け」と言って連れて行ってもらった。

 それまでは放置されていた。

 

 いや、一応私が17歳くらいの頃、母親が私名義で心療内科か精神科に掛かったらしいけど大きな動きは私が連れて行けと言うまではなかったように感じた。

 

 ちなみに私自信が心療内科に連れていけと言ったのは20歳の頃だ。

 

 登校拒否の影がちらついたのは幼稚園の頃から。

 登校拒否が始まったのが小学4年生の時からで、保健室登校などもしていたがその頃からほぼ引きこもっていた。

 16歳くらいの時にバイトなどもしたが1年と続かずに引きこもりがちだったし、リストカットやイライラしやすい、物を壊すなどの行動もあったんだけどね。

 

 まぁ何にしたって病気は治らなかったけど。