気が付かれなかった取り替え子

ここは、とある人物の出来事が手記として現れる隙間の世界です

全然楽しい要素が無かった

 学校に、一切楽しい要素がなかった。

 みんなで一緒に何かやるのも楽しくないし、勉強も給食も楽しくないし楽しみでもない。

 先生の言っている事なんて1度聞いて覚えられないし、黒板の文字をノートに書き写すのなんて苦痛でしかなかった。

 友達関係も揉め事もあったりでいいとは思えない。

 グループ行動も、何か準備しなくてはいけないという時、役割分担が決まってないから用意した物が被ったり何をしていいか分からなかったりで、とにかく楽しい記憶がない。

 登校拒否が始まった後、先生や同級生が配慮してくれたのは分かったけど、その場しのぎの特別待遇的処置で、何一つそれが学校が楽しい、続けて行きたいに繋がらなかった。

 

 なので「普通に学校に行けてる奴スゲー!」

 とかなってる。

 

 他の人(ラジオとかで聞いた知らない人)の話を聞くと、

 給食が好きだから、友達と会えるから通ってた。

 学校が嫌いで仕方なかったが、中学の先生が「お前はここに行け」と高校を紹介してくれて、それで高校進学できた。

 とかあったが、私にはそんな物はない。

 

 私の性格を持ってすれば、周囲の気遣いは結果として気まずい思い出に繋がってしまうのだ!

 

 あと、クラスの子からの手紙とかも貰ったけど、大して仲良くない人から適当に書かれた手紙を貰っても、嬉しくはなかった。

 でも私も、正直いらねーと思いながらも、建前でしばらく取って置いたけどね。

 

 ちなみに当時、知的障害者の学級はあったが少なくとも私の通っていた学校は、保健室の先生はいてもスクールカウンセラーはいなかった。

 そして今ほど発達障害に対して対応されていなかった。

(とは言っても私は発達障害ではない。精々発達障害グレーゾーンだが)

 

 ただ、当時から人間気持ち悪いとか、嫌いとかの感情はあった気がするので、どんなに学校側が発達障害やその症状に詳しくても、その対応ができていたとしても、どうにもならなかった可能性はある。