気が付かれなかった取り替え子

ここは、とある人物の出来事が手記として現れる隙間の世界です

『障がい者』とか『履歴書は手書き』とか『和暦』とか

 世では『障害者に優しくしよう』とか『障害者差別を無くそう』とかしているらしい。
 その関係かは知らないが、障害者の害の字をひらがな表記にしているのを見る。
 しかし、字を書くのが苦手を通り越して苦痛の私から言わせれば、なぜ害の字よりも画数が多くややこしい障の字を残したんだ。となる。

 ついでに言えば、そんな事をするなら『履歴書は手書きで作成』をやめろよと。
 就職活動中、私の『文字を手書きする事は出来るが、苦痛でありストレスである』と言う事はちゃんと伝えていた。
 けど『履歴書は手書き』はその方が良いと絶対状態。
 それを言われたのは、平成終わり~令和になった後だよ。
 こんなに科学が発展してるのにね。

 あと、和暦を使うのはいいんだけど手帳とか書類関係にまで使わないでほしい。

 私にとって、和暦という一年の途中でいきなり年号が変わって年数も振出しに戻る暦って、理解しづらく計算も混乱するし苦痛になりやすい。
 別に和暦が駄目とかじゃないよ? カレンダーとか年賀状とかお金とか、色々なシーンで使っていけばいいと思うよ。
 でもさ、どうして不定期で年号と年数が変わる物を手帳とか書類関係にまで使うの?

「えーと、平成三十一年と令和元年は2019年で、その二年前はへいせいあー、あー……にせんじゅうきゅうねんはへいせいさんじゅういちねんだったっけ……?レイワガンネンハ、レイワイチネンデアッテ、ゼロネンデハナイ…………」

 とか、いい年したおばさんが痛々しく一人で混乱しながら懸命に答えを導き出すのは別にどうでもいいのか?
 それともボケ防止にわざとしてるの?

 とかなるが、まあいいか。インターネットで和暦と西暦の早見表を見れば済む事だ。

 ただ私は『多様性』という言葉を聞くと
「こんな感じで多様性に対応できるん?」
 というような、呆れるような気持ちや鼻で笑いたくなる気持ちが生まれる。