気が付かれなかった取り替え子

ここは、とある人物の出来事が手記として現れる隙間の世界です

生かすだけの医療

 私の母親は死んでいる。私が二十代の頃に自殺した。

 だけど私は母親の没年月日をよく覚えていない。覚える気がないのか、元々そういった事を覚えるのが苦手なのか、その両方かは知らないが、私にとって母とは、死んで悲しいと思えるほどの価値もない程度の存在だから問題ない。

 

 そんな私の母親だか、彼女は普通の人だった。

 お見合い結婚して子供を産み普通に仕事もできる、もしかしたら発達障害かもしれない。程度のどこにでもいるおばちゃんだった。

 そんな彼女は私という存在を捌ききれず、ストレスを溜めて精神病院に通い始め、薬を投薬されたが状況は悪くなる一方になり、とうとう暴れるなどをするようになって、統合失調症として閉鎖病院に入れられた。

 入院した先で、明らかに母のストレスの一因である旦那に合わせるなどの処置と、投薬に投薬を重ねられ、それでも症状が治まらないから電流走らせようか?

 という話まで持ち上がる程度には重症化したが、一年後、まるで廃人の様になって退院し、それから数年後に自殺した。

 自殺する数年前から私に「殺して」と頼んできていたので、当然の結果だろう。

 

 しかしその自殺から数年後、私は自身の担当医から、なかなか興味深い話を聞く羽目になる。

 

 私の当時の担当医は病院の副院長で、その病院と母が入院しその後通院していた病院とは姉妹病院という関係だった。

 そんな彼と投薬に関する話をしていた時、こんな事を言われたのだ。

「この薬、貴女のお母さんが処方されていたものと同タイプだけど、いいの?」

「貴女のお母さんは薬の副作用で自殺したんだよ」

 

 私は家に帰ってインターネットで薬の副作用を調べた。

 すると、確かに自殺志願が強い患者には与えない事。とあった。

 

 これは私の仮説だが、精神医学の世界では、検査でハッキリとした結果は出ない。

 医療ミスがあろうが人権がなかろうが、社会で騒がれず患者の妄想で片づける事も可能だ。

 問題を起こしても医師や病院側が責任を問われる事もなく、他人をどんなに不幸にしても責任が追及されなければ、改善もされないんじゃないか?

 

 しかし、仮にこの仮説が正しいとしても、私としては彼らが事実を社会に公表し、誰であっても比較的使いやすい安楽死制度を導入してくれればそれで満足だけどな。

 でも、そんな未来は来ないだろ?

 まぁこんな事、母親を壊した私が言えた義理もないか。