気が付かれなかった取り替え子

ここは、とある人物の出来事が手記として現れる、隙間の世界です

他人を変える事はできない

 点字入門書を支援事業所に預けた。私はこの本をもう何年も見ていないし、今後も使う用がなさそうだからだ。

 元々この本は、父が緑内障でいずれ目が見えなくなると知った時に購入した物だ。少しでも父の役に立つことをしたいという思いから。

 とは言っても最初ざっと読んだだけで『いずれ使う日が来た時に十分に使おう』なんて思ってほぼ放置していたが。

 だから本来の目的を考えれば、もっと早くに手放しておいてよかったのだ。

 あの人の役に立とうだなんていう発想自体馬鹿げているのだから。

 

 私の父は、障害者を「何もしなくてもお金がもらえて羨ましい」と言い、父親である事を盾に意見を押し付け、間違った事をしてもけして謝らず、そして人の気持ちを考えて行動できずに自分がされて嫌な事は他人にするという、多分よくいる昭和の親父だ。

 そして少なくとも今の私は、そんな相手に尽くそうとする気持ち自体が必要ないと感じている。

 第一、年も年だし点字を覚えるのは無理だろう。しかも相手はあの父親。教えたら教えたで、普段の言動はすっかり棚に上げて「有難迷惑」とか言ってきそうですらある。

 

 私はいつか分かってくれるだろう。こうすれば嬉しいし、嬉しい事は他人――そう、私にもしてくれるだろうと、娘でありながら彼女や妻や母かの様に父の事を知ろうとしたり、私がやってもらって嬉しいという事は積極的にやってきたが、それはストレスしか生まない事だった。

 相手は、自分を助けた相手が助けを求めてきても、見て見ぬ振りができる人だ。

 その理由は「どうしたらいいか分からないから黙っていた」かもしれないし「相手がどんな状況であっても、生きて行くって自分で何とかするって事だがら、手助けは相手の迷惑になる」かもしれないが、ともかくそういう人だし、「見返りを求めるな」と言う人でもあった。

 

 あの頃の私に言いたい。

 私は彼の子供であり、彼女や妻や母ではない。

 彼がこの性格故か、目の前の相手が自分の子供だという事を忘れているような言動を取る時であっても、私まで彼の子供である事を忘れないでほしい。

 そもそも彼は、私が普段何気なくする気遣いや、他人の気持ちを考えて行動する。という行動すら取れないのだから、何かを求めるのが間違っている。

 そして、他人は変える事ができない。もし変える事ができるのであればそれは自分自身だ。