気が付かれなかった取り替え子

ここは、とある人物の出来事が手記として現れる隙間の世界です

両親の結婚

 お見合い結婚で、出会って3カ月で入籍した。

 だったはず。

 というか、お見合い結婚というよりお付き合いの期間的に強制結婚け?

 

 まぁ実際どうだったのかは分からないが、取り合えずお見合い相手を見つけてきたのは母の父(つまり私の祖父)だ。

 ちなみに私は詳しく聞いていないが、祖父は毒親とかキチガイの類だったらしい。

 

 で、子供を育てる力があるのかどうか怪しい母は多分、自分の能力とか考慮しないで『周囲がやっているから』『それが普通だから』で結婚して子供を産んだ。

 もしくは父親に逆らえずに結婚して子供を産んだ。

 って感じだったのかな?

 

 でも旦那となった私の父はそんな母をサポートできるかと言ったら、そうでもない。

 むしろ母のストレスを増幅していたのではないか?

 という人だったっていうね。

 更に母はそれに加えて両親からのサポートも特になかったと思う。

(私が1歳くらいの時に父親と祖父が色々あって縁切ってたので)

 

 そして母は50代で自殺して人生を終了させていた。

 

 

 取り合えず私は結婚せねばならない状態に追い込まれなくて、本当によかった。

 となった。

 なんか遺伝とか呪いとかオカルトとかそんな感じだけど、やっぱ他人を見る目とか寄ってくる人とか生活力とか、そういうのって親から子に受け継がれる気がするし。

 

 ちなみに曾祖母か高祖母も50代くらいで亡くなってる様だった。

急に態度を変えられてもキモかったって話

 私の母親は私が学校に通いたくないという欲求を飲んでくれなかった。

 だから無理やり通わさせられたし、朝は父親にくすぐられて無理やり起こされて苦痛だった。

 

 所が母親は誰かに何かを吹き込まれたようで急に態度をコロっと変えて「通わなくていいよ」と言ってきた。

 どうして学校に行きたくないのか話し合いをするわけでもなく、今までさんざん他の子と比べて「あの子は皆勤賞狙って学校通ってるのに」とまで言ってきていた母親が突然である。

 

 その時の私がどんな気持ちだったか、実は正確には覚えていない。

 ただ母親の突然の手の平返しがキモかった印象が残っている。

 そもそも理解してくれたとは思っていなかったかな?

 

 だって、私以外の他人に何か吹き込まれたから急に態度を変えたんでしょ?

 っていうのが手に取るように伝わっていたから。

 

 だから

 あの人は私の言っている事を理解なんかしてないし、私が「学校に行きたくない」って言った原因を考慮して「行かなくていいよ」と言ったわけでもないでしょ?

 とかなってたと思う。

 

 そもそも私の母親ラジコンだし。

 自分で考えて動く事ができないから誰かに操縦してもらわないと動かないの。

 

 でもその誰かって、少なくともこの時は私じゃないよね?

 

 まぁ、30歳近く年の離れた娘の私に愚痴を吐いたり助言を求めたりする幼い母親ではありましたが。

 

 

 あと一応書いておくけど

 学校に通わない=正しい。とかその逆の、学校に通う=正しい。

 という白黒ハッキリした事は思っていないよ。

 

 ただ『従来の方法での通学や勉強が苦行だった』という事実は、あの頃の私にあったっていう。

心療内科受診の切っ掛け

 私自信が『このままじゃいけない』と感じたから、両親に「病院に連れて行け」と言って連れて行ってもらった。

 それまでは放置されていた。

 

 いや、一応私が17歳くらいの頃、母親が私名義で心療内科か精神科に掛かったらしいけど大きな動きは私が連れて行けと言うまではなかったように感じた。

 

 ちなみに私自信が心療内科に連れていけと言ったのは20歳の頃だ。

 

 登校拒否の影がちらついたのは幼稚園の頃から。

 登校拒否が始まったのが小学4年生の時からで、保健室登校などもしていたがその頃からほぼ引きこもっていた。

 16歳くらいの時にバイトなどもしたが1年と続かずに引きこもりがちだったし、リストカットやイライラしやすい、物を壊すなどの行動もあったんだけどね。

 

 まぁ何にしたって病気は治らなかったけど。

当たり就労移行に行ってた時の事

 職員さんは真面目な人から面白い人までいたけど、一様に仕事をしてくれていた。

 ふざける時はふざけるけど、それはちゃんと一線を敷いたうえでやってくれていた。

 相談とかも嫌な顔一つせずにちゃんと時間を作って聞いてくれた。

 普段は愉快な職員さんですら相談をする時は真面目に話を聞いてくれた。

 だから私は安心して通う事が出来た。

 

 デイケアもB型事業所的な所も1年と続けられなかったのに、この場所だけは途中で1カ月以上休んだ時もあったがそれでも1年以上続けられた。

 しかもその1カ月以上休んだ時も、なるべくこの就労移行に通い続けられるように家での趣味を減らそう。

 となって計画的に休んだものだった。

 

 もちろん嫌だなぁ。と感じた時はあったし結局私は就職も他の事業所などに通う事も出来なかったけど、やっぱり今でも楽しい思い出が頭に浮かぶのは貴重だったかなぁ。

 と感じる。

うっかり口をついて出た本音

 やたらとふらつきがあって歩くのも危ないなーとなり家で大人しく横になっている時、意識が遠のくような感覚に陥った。

 その時

『私が今死んだとして、こんなあからさまに洗濯物を干していても(この日は毛布を洗って干していた)ここのアパートの住民は誰も何もしてくれないかもなー』

(以前アパートで人が死んでいた時があって、その時室内で人が倒れているかも? と気が付けた人が数名いた可能性がある状況で、アパート住民が管理会社に連絡などをしていなかった時があった為)

 とか何とか思いつつも幽霊になったらどうするか考えていて

『お化け屋敷で人を怖がらせたり、世界一周旅行もしてみたいなぁ。

 あと幽霊になれば恋愛大丈夫じゃね?

 でもババァの体で恋愛は嫌だな』

 となり

「じゃぁおっぱい大きい(Eカップくらいの)美少女にしてください年齢は17歳くらい!」

 と、気が付いたら叫んでいた。

 

 私はもう、限界だと思う。

「先生」はあまり使わないでおこうと思った

 某掲示板で

「人間は先生とか呼ばれると調子に乗る生き物」

 的な話を見て

「事実かは分からないが、一理あるな」

 と感じた私は、なるべく先生を使わないようになった。

 

 もちろんそれは私が学校に通っていない状態であり、更に『先生』を付けてもいい人との付き合いはあったがそう呼ばなくてもいい環境にいたからできた事だが。

 

 ちなみに、どうでもいい奴に関しては特に気にせず『先生』と呼ぶ可能性はある。

 だって調子に乗って破綻した所でどうでもいいし。